高野山で聞く法話

少し前の話しになるが、高野山で聞いた法話が印象に残る。
高野山詣では宿坊に泊まった。そこでの高野山編照尊院住職様の朝方のお話し・・

    世の中は、「こそ」の二の字の置き所
    治まるもこそ、乱れるもこそ

どうゆうことかというと、何事も「こそ」の置き所で平和であったり、乱れたりするものだ。家庭に置き換えてみよう。よく嫁と姑の問題がいわれるが、姑は、嫁が息子と仲良くして、私の事を大切にしてくれるから「こそ」これからも安心なのだ。嫁は、お母さんがやさしく孫たちを可愛がり、経験からいろいろ教えて下さるから「こそ」ついていける。そう思えば、すべて丸く治まり、家庭が繁栄するのだ、と言われた。

今日のブログも、元気だから「こそ」書ける。例え、ひとりでも読んでくれる方があるから「こそ」張り合いがある。

高野山は仏教の聖地、ここに来てこの法話を聞いてよかった。

高野山で聞く法話


この記事へのコメント
カスタムさん

コメントを入れてくれまして、ありがとうございます(^-^)
嬉しかったです。
こそのお話、じーんときました。
ありがとうございます(^-^)
Posted by アンドーナッツ at 2016年06月16日 09:48
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
高野山で聞く法話
    コメント(1)